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国内からの弔辞

 荻田先生と初めてお会いした時の事は、今でも忘れません。周産期外来診察室のベッド上でした。私は受診中でしたので、ベッドに寝転び臨月近い大きな大きなお腹を丸出しという姿です。「はじめまして。こんな姿ですみません。宜しくお願いします。」と服を直し起き上がろうとする私に「いえいえ、いいですよ。そのまま寝ていて下さい。早速、お腹の赤ちゃんを見させて頂きますね。」こんな感じで荻田先生と当時胎児だった息子は出会い、治療が始まりました。

 他院で妊娠28週のエコー検診の際、胎児の異常が発見され府立医大病院に転院、帝王切開出産に向けての準備に入ろうかというあたりの診察日であったかと思います。それまで私が産婦人科のDr.ドクターから聞かされていた子供の状態および病気に関する話は非常にシビアなもので、「逆子・臍の緒が首にぐるぐる巻き付いている・低体重」「染色体異常の可能性が高く、もしそうであれば生まれてきても3ヶ月程度の命。治療の施しようはない・・・etc」今思えば、あくまで最悪の可能性、覚悟を持てるようにして下さっていたのでしょうが、その頃の私には重すぎて・・・思い悩み不安で泣いてばかりの日々を送っていたのでした。

 先生は、矢継ぎ早に質問を投げかける私に、胎児はかなりの高い確率でリンパ管腫であるという事。もう少し早く診ていれば胎内治療も可能であったが部位が腋窩なので、私たちのケースは出生後の治療でも問題ないという事。ただ他部位にも患部がないとは言えないので、どんな状態であったとしても、出生後速やかにしかるべき処置が取れるよう、出産には立ち会います。と、質問の答えだけではなく、「安心感」をも与えて下さいました。それがどんなに心強く感じたことか。

 そして、ご多忙なスケジュールを調整頂いた2000年8月15日の手術当日。手術室には産科のスタッフの他にも、小児科NICUと小児外科の方達、びっくりする程たくさんのスタッフがスタンバイして下さっていました。しばらくして、荻田先生の姿も見えホッとしました。

 いよいよ出生の瞬間、皆が私の足元へ。そして、次は素早く子供と共に処置台に移動。処置が続きます。期待していた「おめでとうございます。何時何分生まれ、男の子ですよ。」なんてものはちっともありません。私には、ほんのチラッとだけ見えた姿と泣き声だけ。必死に目で追っていました。もしかして、状態が良くないの?見せて貰えないの?と思ったそんな時「早くお母さんの傍に赤ちゃんを連れて行って!」との声が。荻田先生です。顔の横に連れてこられた息子は、既に泣き止んでおり、生まれたばかりだと言うのにしっかり両方の瞳を開けて私を見てくれました。その隣には先生の微笑。それから「赤ちゃんは大丈夫ですよ。心配ありません。」の言葉を聞いた後、引き続き卵巣の手術を受けた私は全身麻酔に切り替わり徐々に意識を失っていったのでした。

 左腋窩と腕にリンパ管腫があったものの、お蔭様で染色体にも問題は無く、生後すくすくと育ちました。出生後4ヶ月目から、OK-432局注治療を始めたのですが、息子の治療は先生をかなり手こずらせていたと思います。赤ん坊の頃から、本当に殺される!というかの様な大泣きに大暴れなのです。点滴の針を刺すのも一苦労。何人ものスタッフが助けに来て下さって、ちょっとした大騒動です。おまけにかなりの過敏で麻酔や睡眠薬も効きにくいらしく、なかなか眠らない上にやっと眠っても針先が当たっただけで、起きてしまい暴れ出します。「凄いな~。ここまでの子は初めてや!」と、毎回、大汗をかかせてしまっていましたね。本当に申し訳ありませんでした。

 でも、あれから数ヶ月で息子も随分変わったのです!最初の点滴は嫌がるものの、針が入ってしまえばケロッとしてもう泣きません。そして、なんと点滴をぶら下げて、1階のレントゲン室まで自分で歩いて局注を受けに行けるようにまでなりました。ちょっと前とはまるで別人の様で周囲は大変驚いています。3歳になり「自分が病気であること。治療をしなければならないこと。」を少し理解したようです。是非、荻田先生にも成長した息子を見て頂きたかったです。「この間までは一体何だったんだろうね?!」と、きっと一緒に笑って下さったことでしょうね。

 息子の場合、当初の見込みでは、血管腫も混在しているようだが、リンパ管腫の方は嚢胞状の為、すぐに治療効果は現れてくるハズ・・・というものでしたが、残念ながら、何度局注を行っても大きな変化は見受けられませんでした。先生も「おかしいですね。もう、そろそろ効くはずなのに。次回は透視下で局注を行って、薬の広がり具合など詳しく確認してみましょう。」という事で、2002年12月に初の透視下での局注となりました。そして、それが先生の治療を受けた最後の日となってしまいました。その日の結果により、一つの袋に注入しても薬が他の袋に広がっていっていない事がわかりました。珍しいタイプで、無数にある袋の壁がとてもしっかりしているのです。

 「だから、根気よく1つずつ潰していかなければならない。長くかかると思いますが、頑張っていきましょう!」先生が下さった息子への最後の治療方針です。一体息子の治療は、いつまでかかるのか想像もつきませんが、決してあきらめることなく、親子力を合わせて「リンパ管腫」と戦い、また生涯上手く付き合っていこうと思っております。

 荻田先生・・・急な電話やメールでの相談にも、いつだって親身にスピーディにお答え下さいましたね。心から感謝しています。息子が大きくなれば、私は先生のお話をたくさん聞かせることでしょう。私達だけではなく、先生にお世話になった患者、その家族は皆、決して貴方を忘れないでしょう。これからもリンパ管腫に苦しむ人々を遠くから優しく見守っていて下さい。

 そして、どうか「安らかにお眠りください。」

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